ようこそ、14













ピリピリとした張り詰めた空気の中、三人は横一列に並び、日本の家へと向かっていた・・・


(胃が痛くなりそうだ・・・)


両手をトルコとギリシャにしっかりと握られながら歩くは、
心の中で溜息を吐きながらも、もくもくと足を進める。
それ以外、この緊張した空間から逃れられる方法がないからだ。

何か会話をしようとも思ったが、話のネタは特にない・・・
うえに、この二人が口を開くと喧嘩になるのはもう十分わかっていたので、
早く着くのが最善の策だと思い、ただひたすらに歩いていると、
たまにふと、どこに通じているのか気になる横道が、
今歩いている道からのびていることに気付き、
は素通りするその横道が気になり、少し見つめていた。


「どこに続いてるか、気になるかい?」


すると頭上で低い、穏やかなトルコの声がして、はハッと顔を上げる。

「あ、はい。」

露骨に態度に出てたかな・・と、は少し照れくさく、笑みを浮かべながら返す。

「あっちは・・北・・・世界地図思い浮かべてみな。大体あの通りの配置になってっからよ。」

と、トルコは言ったが・・・正直なところ、の脳裏に浮かんだ世界地図には、
トルコの北は・・・ロシアくらいしか浮かばなかった。

「・・・・・」

きちんと覚えておけばよかったと、は今更過ぎる後悔をした。
そして自分の世界への関心の薄さを、改めて痛感する。

よもや地理の授業を受けている時に、その後の人生で、両手を異国の人に握られて歩きながら、
「北には何の国があるでしょうか。」などと話す日が来るなどとは、思いもしなかったので、
ただ試験勉強のためだけに、知識を右から左へと流し込んでいた・・・

やはりどこかの誰かが言っていたように、知識はあって困る事はないのだな・・・
むしろ、なくて困る事はたくさんだ・・・と、は悲しい笑みを浮かべて、答えを誤魔化した。


・・・あっちには・・なるべく行かない方がいい・・・・と、思う。」


すると、ここまで黙って話を聞いていたギリシャが、
珍しくトルコの言葉に突っかからずに、会話に参加してきた。

「え?」

その言葉と、ギリシャの神妙な面持ちに、はギリシャを見つめて聞き返す。

「あー・・・そうだな、あっちへは行かねぇほうが・・・いいな。
つーか、南もここらは物騒だしなぁ・・・とりあえず、庭から先へは一人で出歩かねぇ方がいいな。」

今度はトルコがめずしく、ギリシャの言葉に賛同する。
少し何かを考えるように、視線を青い空に漂わせたトルコを見て、
やはり海外は治安が悪いんだな・・と、は分かりました。と返事をしたが、
それもあるのだが・・それよりも、別の事を二人が心配していたのだと気付いたのは、
それから随分先のことだった・・・。


「でかけたくなったら・・・いつでも呼んで・・一緒に行くから・・・。」


ギリシャは優しく微笑んだ。

「・・・ありがとうございます・・。」

その微笑みが、そのまま見つめていたら、真っ赤になって『無理です・・・』と、
しゃがみ込んでしまいそうな笑みで・・・は緩む口元をぐっと抑えこみながら
感謝の笑顔を返して瞳をつむり、その微笑から逃げた。

「俺が行くからてめぇの出番はねぇんだよ。」

けっと、反対側からつっけんどんな声がしたので、また揉めだしてしまったのだが、
内心、救われた・・と、は一人安堵していた。








「あ、着きましたね。」


相変わらずギスギスと揉めている二人を、この二人はこれが普通。ということにして、
はもうほとんど放っておきながら歩いていると、竹林を越えて、
ようやっとあの立派な日本家屋が見えてきた。

やっと着いた・・と、はほっとしたのだが、ふと気付く。


「あの・・・もう着いたんで・・・手、離しませんか?」


『本田』という立派な文字の表札が掲げられた玄関の前に来て、
あの・・と、は少し気まずそうに、二人に声をかけた。

「・・お、あ、ああ!そうだな!」

歩きながらギリシャと揉めている間に、ついうっかりしていたトルコは、
日本に見られたらやはり気まずいのだろう、焦って手を離す。


「・・・・・・」


ふと、手のひらに冷たい空気が流れた・・。
突然なくなった人のあたたかさのせいか、やけに冷たく感じて、
はなんとなく、淋しい気持ちになる。

そして今度はギリシャが手を離そうとするが・・・


「・・・離すの・・・・淋しい・・な。」


繋がれた手を見つめて、ギリシャはぽつりとそう言った。


「・・・・・・・・」


はその場に固まる。



「このまま繋いでましょうか!」



と、は歓喜の雄叫びをあげそうになるが、ぐっと俯いて堪える。
ふしめがちに淋しそうな、悲しそうな表情で眉をひそめるその姿に、
捨てられた子犬・・または子猫の姿が重なった。
もう、なんでもいいから繋いでましょうか。と、言いたいが・・・


「・・でも、日本に見られちゃうから・・・ね。」


と、ギリシャが手を離してくれたので、も恥を晒さずにすんだ。

すると、トタトタと玄関の扉の向こうから、軽い足音が聞こえてきた。
カララと、玄関の戸が開く。


「・・・まぁ、ギリシャさんもご一緒にいらしたんですか?お二人が一緒だなんて珍しい・・・」


玄関の前に佇む、三人の姿をしばし見つめた後、驚いた様子でそう言ったのは、
綺麗な黒髪に着物姿のこの家の主、日本だった。
最後にふふっと微笑んだ日本に、当の本人たち二人は、少し照れくさそうにむっとして、
お互いに反対へと顔を背けた。


「ふふ・・仲がよろしいのは、いいことだと思いますよ。私たちも嬉しいです。ねぇ、さん?」


「え!あ、はい・・そうですね。」


突然話を振られて、よく意味が分からなかったが、とりあえずは無難な答えを返す。


「さ、どうぞお入りになって下さい。」


スッと体をずらし、日本はにっこりと微笑みながら、三人を宅内へと招き入れた。








庭にいる。と、玄関脇から直に庭に向かったギリシャは、トルコとが通された、
先日と同じ客間に隣する広縁に腰かけ、膝に乗せた猫をなでていた。
少し開かれた障子から、が見える。

お茶をいれてきますね。と、日本は席を立ち、トルコと二人残された部屋には、
外で綺麗にさえずる鳥の声が、木々の葉を揺らした風と共に、部屋の中へと入ってきて、
のどかな空間を作り出していた。
「ややこしくなってしまったこと」を聞きにきたのだが、そんな緊張感は微塵も感じられず、
拍子抜けというか、少し高まった緊張も解けてしまった。

来る途中も、二人の間に立ち、なんだかんだとそれどころじゃなかった。
心にあった重い不安は、いつの間にか消えていて、ここに来るまでは悪い想像をしなくてすんだ。
三人でなければきっと、色々考えてしまっていただろう。
別のことで疲れてしまったけれど、三人で来れてよかったと、は軽く笑みを浮かべた。


静かな足音が聞こえ、障子の向こうで『お茶ここに置いておきますね。』というやり取りが聞こえる。


「お待たせいたしました。」


優しく微笑む日本が、障子をスッと開き、戻ってきた。
そして粗茶ですが・・と、二人に出してくれた緑茶は、
粗茶という言葉にはふさわしくない、高級な色と香りを漂わせている。

おいしそうな香りのお茶を一口頂いている間に、日本も席に着き、一口、口にする。
すると、カタッと湯のみを置いたトルコが、口を開いた。


「さて、んじゃあ早速だが、話に入るか。」


その言葉で、和みムードだった部屋の空気が一変する。


「・・そう・・・ですね・・・」

日本も湯のみを置き、真剣な面持ちに変わった。

「・・・・・」

当の本人、は一人置いていかれそうになるが、も慌てて気持ちを切り替える。

そう、ここに来たのは知るため。
自分が元の世界に戻るのに、何の不都合が起きたのか・・・・



さん、先日教えて頂いたこれらに間違いはありませんか?」


日本が取り出したのは、先日が書いた住所等のメモ。
それを一枚板の立派なお膳の上でスッと滑らし、へと渡す。

「・・・はい、大丈夫です。間違いはありません。」

メモの中の自分の文字を確認して、は答えた。

徐々に緊張が増す。
鼓動は早まり、身体が少し強張ってきた。

「そうですか・・・そうですよね・・・」

ドキドキと、が次の言葉に構えていると、日本は何故か残念そうに視線を落とした。
一体何が?と、日本の様子に訝しげな目を向けていると、


「実は・・・昨日、あの後すぐ端末でこの住所のさんのデータを確認したのですが・・・
何故か、見つからなかったのです・・。」


「・・・・え?」


しばし間を置き、は聞き返した。


「本籍の方も確認したのですが・・ご家族の方のだと思うものは存在したのですが・・・
さんのだけが・・・見つからなくて・・・・住所等に間違いはないか、
再度、確認していただこうと思ってご足労いただいたのですが、
やはり・・あってるということなので・・・・」


「・・・・・・・」


困惑した日本の表情に、何を言うでもなく、は黙っていた。

黙って、日本の衿元辺りを見つめていた。

そんなをちらりと、仮面の下からトルコは見つめる。
広縁で話を聞いていたギリシャも、思わず顔を上げ、
開いた障子の間から見えるの横顔を見つめていた。


「え・・・っと・・存在しない・・って、住民票とか、戸籍とか、
そういうデータがない・・っていう・・・」


ことですか?と、は瞳で日本に問う。


「はい・・何度も入力しなおしたのですが・・お名前と生年月日だけで探しても、
該当するデータが見つからなくて・・・・」


その言葉に、は膝の上に置いていた両手を、ぎゅっと握った。


「・・・・家族のデータらしきものは・・あるんですよね?」

「あ、はい。同じ名字の方のはありましたので、ご家族の方のものかと思われます。」


自分が悪いわけではないのに、日本は凄く申し訳なさそうに、
そして少し辛そうな表情で、に伝える。
の気持ちを考えると、きっと伝える方も辛いのだろう・・・


「そう・・ですか・・・」


小さな声で返事をする



自分のデータが存在しない。



そう言われても、どうリアクションしていいか分からなかった。


ないと言われても、自分はここにいるし、つい先日まで普通に暮らしていた。

実感など何もない。


でも、向こうでは・・・自分がいた向こうの元の世界では、自分のデータは存在しない。

それはどういうことを意味しているのだろう・・・


少し考えて、の頭に浮かんだのは・・・・





「あの・・・じゃあ、家族とか・・友達とか・・周りの人たちは、私のこと・・・」


そこから先を言うのは、なんとなくためらってしまい、口を閉ざした。


「・・それは・・・調査してみないと分かりません・・ので、
訪問して、それとなくさんのことを尋ねたりして聞いてみますので・・・・」



「多分、のこと全部忘れちまってるんじゃねぇのか?」




「・・・・・・・・・」


はっきりとした、低いトルコの声が部屋に響いた。

曖昧な日本の返事を遮って、トルコはその場にいる全員が、あえて口にはしないことを口にした。


その一言で、部屋に一瞬、極限の静けさが走り、次の時には、真逆へと変わっていた。



「トルコさん!!」


「お前っ・・!」


日本が珍しく声をはりあげるのと同時に、ギリシャがスパンッと、
障子の戸を乱暴に開き、部屋の入り口に立った。


「・・・・・・」


は少し驚いた表情で、隣に座るトルコを見つめた。


「まだ断定はできねぇけど・・・十中八九そうだろうな・・・酷な話だけどよ・・」


「そう思うんならっ・・!簡単に口にするな!まだわからないだろう!」


正面を見つめたまま淡々と語るトルコに、ギリシャは憤り、つかみかかった。
一触即発なその事態に、は慌てて後ろ手をつき、後退りする。

「俺だって言いたくはねぇよ!けどな!今の日本でデータが存在しないのに、
そいつが存在するなんてことあるかい!?しかもちょっと前まで普通に暮らしてて、
ちゃんと公的書類まで持ってんだぞ!?」

トルコは語気を荒げ、捲くし立てる。

「でも・・・その書類のデータが存在しねぇってことは・・・
きっと、全部まるっと・・・・そういう事なんだろうよ・・・」

瞳を伏せ、やるせない表情でトルコは言った。


「それこそ、神さんのしわざで・・・全部消されちまった・・って、具合にな・・。」



「・・・・っ・・・」


トルコの言う事は、ギリシャにも分かっている。
分かっている、それは分かってはいる・・・だけど・・・・

それは口にしたくないことだった。


のために・・・・






(バカなこと・・聞いちゃったな・・・)



は沈黙が続く部屋で、一人、天井の隅を見つめていた。



本当は、わかっていた。

わかっていたのに、あえて聞いた。


多分、そうだとは思っている。
だが、『可能性は0じゃないよね?』という問いに、
『そうだよ、大丈夫!大丈夫!』と言って欲しかったのだ。

励ましてほしかった・・・励ましてもらい、落ちそうな気持ちを僅かな希望で持ち応えたかった。

まだ・・もう少しこのままで・・・

まだ、悲しい気持ちには、なりたくなかった・・・



「・・・・・」


の瞳に、涙がにじむ。

それは悲しいからなのか、自分が情けなくてなのか、みんなに申し訳ないからなのか・・。
よく分からない感情の粒が、あふれ落ちないように、ぐっと堪えて息をのんだ。


「・・けどなぁ・・・」


ギリシャに首もとをつかまれたままだったトルコが、離せ、とギリシャの手を乱暴に払い、
そのまままっすぐ、仮面の下で綺麗に光る瞳で、じっとの瞳を見つめた。

「・・お前さんが・・・向こうで消えちまってて、周りがお前のこと忘れちまってるとしても、
お前は今、ちゃんとここにいるし、俺は・・・俺らは、ちゃんとお前と出会った時のこと・・今までのこと、
全部ちゃんと覚えてるからよ・・・・・だから、泣くんじゃねぇやい。」

そう言って、少し困った顔をしたトルコは、片手を伸ばし、
顔を両手に伏せて肩を震わせているを抱き寄せた。

体勢が崩れ、なだれ込むようにトルコの腕に入ったは、
そのままの格好でしゃくりあげ、トルコの服を握り締めながら、ぼろぼろと涙を零す。

けれど、周りが思っているほど、悲しくて辛くて泣いているのではなく、
もちろんそれもあるのだが・・それよりも、トルコの言葉が・・見つめてくる瞳が・・・
優しくて、あたたかくて、嬉しくて・・・そして心強くて・・・・涙が次々とあふれて、とまらなかった。



「・・・安心しろい・・・俺の所になら・・好きなだけいてかまわねぇからよぉ。」



トルコはを優しく・・・しかし、少し強く抱き締めて、小さく囁くように、そう告げた。








ようこそ、この世界へ―――










続。


2010/03/10....