ようこそ、13
「さて・・っと、次は何しようかな・・・」
キッチンの流し周りに飛び散った水滴を拭きながら、はつぶやく。
二人でご飯を食べ終わった後、『でも、これ位はさせて下さい。』というの申し出に、
トルコもその押しに負け、食事の後片付けを任せた。
しかしその片付けも数十分で終わってしまう。
は次に何をしようか考えていたのだが・・・リビングを掃除しようにも、
さっき『絨毯は手入れの仕方があるから・・』と、言われたので床に敷いてある物を
下手にいじれないとなると・・リビングでやる事は特にはない・・・。
他の箇所も綺麗に片付いており、元々この家には余り生活観がないと言うか・・・綺麗なのだ。
ハウスキーパーさんがいるのか・・それともトルコが綺麗好きなのか・・・と、
思いながら、キッチンの事を全てやり終えたは、ふと、昨日通った庭を思い出す。
(庭にでも行くかな。)
雑草とか生えてたり、落ち葉があったら嬉しいんだけど・・・と、は普段なら
決して嬉しく思わない事に期待をしながら、庭に通じる玄関代わりの部屋へと向かった。
(・・なんでこの家って、どこもかしこも綺麗なんだろ・・・)
部屋へ入って、再度思った。
柔らかく、暖かな陽が差し込んでいる部屋には、塵一つ落ちていない。
部屋の端にある観葉植物の葉なども落ちていなく、一枚の絵画の様な光景に、
はしばし、目を奪われる。
そして、つなぎ目のほとんどないガラス戸まで歩いて行くと、カラカラと開いた。
「気持ちいい・・・・」
温暖な心地よい風がするりと部屋の中へと入り込む。
それと同時に、の頬を撫でる。
日本とは違う、この国の風。はこの風が好きだった。
昨日脱いだままの靴を履くと、庭の中央へと足を進める。
昨日はゆっくりと眺める余裕などなかったが、今改めて見ると・・・この庭はとても豪華だった。
広い庭はレンガに囲まれており、出入り口は部屋の入り口から真正面にある、
上に鉄と色とりどりのタイルやガラスなどで造られたアーチだけで、まさに箱庭だった。
塀沿いに数本、名前の分からない木々があり、生い茂った葉がサワサワと、少し強い日差しを遮ってくれている。
地面にはタイルが敷き詰めてあり、床のタイルにも、綺麗な模様が描かれていて踏んで良い物か少し躊躇う。
そして驚いた事に、庭の端にはレンガ作りの泉があった。
壁に作られた動物の口から、水が下の白地に綺麗な幾何学模様の受け皿へと流れ落ちている。
(・・・なんかもう、次元が違う・・・)
は泉付近に置かれているオリエンタルなソファの側に来て、何故屋外にソファが・・・と、
あっけにとられながら、ははは・・と苦笑するしかなかった。
すると、出入り口のアーチの方から、ジャリ、ジャリと、砂地を歩く音が聞こえ、
はパッと顔を向ける。
(えっ・・誰か来る・・?どうしよう・・・)
近づいてくる足音に、誰が来るのか、自分は他の人に見られたらまずいのか、隠れた方がいいか・・と、
考えている間に、足音はどんどん近づき・・・
「・・あっ・・・・」
そこには、見知った人物が現れた。
彼はアーチの下でと目が合うと、小さく声を発し、少しおろおろとしながら視線を泳がせると、
視線を下へ落とし、俯いた。
肩に乗っていた猫がぴょんと、地面に下りて、の方へと歩いてくる。
「・・・こんにちは・・・ギリシャさん・・でしたよね?」
そう、そこに現れたのは、昨日、日本宅で会った人・・・ギリシャだった。
「・・・・・」
ギリシャはに問われ、黙って小さく頷く。視線は落としたままだ。
そんなギリシャの様子を見て、は人見知りが激しいのかな・・と、
なんとかギリシャの緊張を・・そして場の空気を和ませる為にも、言葉を続ける。
「あの・・・昨日、日本さんの所でお会いしたんですけど・・覚えてますか?」
「・・・・うん・・・」
まるで警戒している猫に怖くないよ〜と、話しかける時の様な慎重さに、優しい声音で、
が軽く微笑みながら話しかけると、ギリシャはそっと顔を上げ、を見て、再度小さく頷いた。
その表情は何だか照れている様な・・少し頬が赤い様にには見えて、
体格だけ見れば可愛いとはお世辞にも言えないのだが・・その仕草や表情、
ほわんとした全体の彼の雰囲気に・・・何だか可愛いな・・と、は心を躍らせて、少し表情にも出してしまった。
作っていたぎこちない笑みが、柔らかい自然な微笑みに変わって行く。
(そんなに照れ屋さんなんだなぁ・・・)
少し和んだ空気の中、はギリシャを勝手にそう判断し、
本当の事になど露ほども気付いてはいなかった。
それもその筈、まだ会って二回目。しかも、合計時間は30分にも満たない。
これで、自分の事を・・・などと思う人は滅多にいないだろう。
思ったとしても、まぁ・・だったら良いよね・・という妄想で終わらせる。
しかし、『全ての恋は一目惚れから始まる。』という言葉を誰かが言った様に、
今、ギリシャの中にあるそれが、そういった気持ちだと確定していないにしろ、
ギリシャが照れているのは、昨日、出会ったばかりのが、庭のアーチをくぐるとそこにいて、
自分に向かって微笑み、話しかけてくれているからなのは、確かな事だった。
しかし、人の心の中など分かるはずもなく、はギリシャが手に持っている
大きめの茶封筒に気付くと、ギリシャに顔を向ける。
「あ、トルコさんにご用ですよね。今、呼んできますね。」
そう言って、が身体を反転させ、その場を去ろうとすると、
「あっ・・・いい!」
「・・・・・・」
さっきまでの温厚な声や様子とは打って変わっての、大きな少し語気の荒い声に、
はピタリと静止し、ゆっくりと、恐る恐る振り返る。
と目が会うと、ギリシャは気まずそうに、また視線を泳がせ、徐々に俯きながら言う。
「これ・・・届けに来た・・だけだから・・・・その辺に置いとくから・・・いい・・・・
・・・あいつの顔なんて見たくないし・・・・」
「・・・・そう・・です、か。」
最後に今日も仲の悪さをたっぷりと伺わせる言葉を付けたギリシャに、
今度はが気まずくなり、ははは・・と笑う。
そしてギリシャは、未だにそこに立っていたアーチ付近から、
タイルの上を歩き、泉の前のソファに書類をポンと投げ置いた。
「・・・・・・」
は、え?ときょとんとしてしまう。
「あ、あの・・大丈夫なんですか?こんな所に置いて・・・」
この書類は、一応こっちの世界の物だとしても、国家間の書類なのでは・・・
だとしたら、紛失・盗難なんて事が起こったら大変なのでは・・・と、
は余計なお世話を承知でギリシャに尋ねたのだが・・・
「・・・・・多分・・・大丈夫・・いつもここに置いとくから・・・」
ギリシャは少し考えた後、あっさりとそう答えた。
やはり余計なお世話だったかとは思うが、最初の『多分』が気になる。
しかも、自分が居合わせてしまったからには、後々、
置いただのなかっただので揉めたら、ちょっと厄介だな・・・と、思ったは、
さっきよりも近くにいるギリシャを見上げる。
「あの・・もし平気なら、渡しておきましょうか?」
そしてそう提案した。
ちょうど居合わせているのに、このまま書類を放置するのもおかしい気がもして、
は言ったのだが・・・・
「・・・・・」
ギリシャは返事をする訳でもなく、じっとを見つめた。
黙って見つめてくるギリシャに、差し出がましかったか・・と、
は焦り始め、慌てて言葉を付け足す。
「もし、構わなければなんで!重要な書類とかだったら、私が受け取るわけにはいかないですし!」
するとギリシャはの心中を察したのか、あ。とつぶやくと、
「大丈夫・・・大した書類じゃない・・・から・・・」
と、少し焦った様子で、ソファに置いてある封筒を再度、手にすると、の前へと差し出した。
「・・・じゃあ・・お願い・・・・する。」
そう言って、はにかむギリシャの姿は、の心を鷲掴みにするには、十分の物だった・・・。
「・・・はい・・確かに・・・」
今度は、の頬が赤くなってしまい、俯きながら、その封筒を受け取った。
「・・・・・・・・・」
しかし、封筒を受けってからしばらくしても、は顔を上げる事が出来なかった。
最初は自分の顔が赤くなってないか、気まずくて上げられなかったのだが、
落ち着きを取り戻し、顔を上げようとして、ふと、頭上から突き刺さる視線に気が付いたのだ。
(・・何か・・・物凄い見られてるような・・・)
は何故自分が凝視されているのか疑問で、そもそもこれは気のせいなのかと、
よく分からなくなってきて、しばらくずっと顔を伏せていたのだが・・・・
「あ、あの・・・」
意を決し、恐る恐る顔を上げると、ギリシャとばっちり目が合った。
やはり、自分の事を見ていたのは、気のせいではなかったようだ。
がそう思っていると、ギリシャは不意をつかれたらしく、少しおろおろとして視線をそらした。
その様子を見ていて、はつい噴出してしまいそうになる。
「あ・・と・・・・えっと・・・昨日、日本に聞いたら・・・
日本、時々・・いじわる・・・だから、自分で聞け・・・って、言われて・・・」
「あ・・・」
私の事が気になって、ガン見してたのか・・と、は納得する。
「名前は・・知ってる・・・・・・・・だから・・・・名前、?」
ギリシャにそう問われ、やはり自然と名前呼びなんだな・・と、
少し気恥ずかしさを感じながら、はい。とは答える。
するとギリシャは・・・・
「・・・・・・・良い名前、だ。」
名前を噛み締める様に数回繰り返すと・・・優しく、柔らかく、ギリシャは微笑んだ。
「・・・・・」
勘弁して欲しい・・・と、はその場にしゃがみ込んで顔を覆い隠したい気持ちでいっぱいだったが、
そんな事は出来ないので、にやける口元を笑顔に変えて、微笑み返す。
「は・・・国・・なの・・・?」
そんなの心中を、気付くはずもなく、ギリシャは淡々と質問を続ける。
「いいえ、違いますよ・・私はただの日本の国民です。」
「・・・・・国民が・・何で・・・・ここに?」
ギリシャは独特の、のんびりとした様子で、
何もない空中をしばし見つめてから、に視線を戻し、そう尋ねた。
「それが・・・私にもよく分からなくて・・・
家の玄関開けたら地面がなくて、そのままトルコさんの・・・家に来てたんです。」
ベッドの上に・・という言葉は、何だか誤解を招きそうだったので、
は違う言葉に置き換えた。嘘は言っていない・・と、自分に言い聞かせる。
「・・・・・そう・・・不思議・・・」
トルコという言葉に少し表情を曇らせたギリシャだが、
それよりもその不思議な現象に興味が持って行かれたらしく、
再度、視線を空中に漂わせ、ぽわんとした表情で、遥か彼方で思考していた。
「でも、昨日、日本さんの所に行ったら、思ってたより簡単に戻れそうなんで、よかったです。」
本当は未だに良いのか悪いのか、複雑なままなのだが、がそう言うと、
突然、今まで穏やかだったギリシャの表情と空気が、一瞬に厳しくなった。
「・・・・・」
えっ・・と、思わず身体を固くするだが、その瞳は自分をみていない事に気付く。
それはの背後・・・・
「それがどーも、ちっとややこしい事になってきてな。」
カタンと、窓の縁に腕を付く音と共に聞こえてきたのは、もう聞き慣れた声と口調。
「トルコさん・・!」
は振り向き、そこに立っている人の名を呼んだ。
開けたままにしていた窓の縁に腕をかけ、ただ立っているだけなのに様になるトルコの姿を見て、
の脳裏に浮かんだのは、まず、仲の悪い二人が顔を合わせてしまった事。
そして次に浮かんだのは、トルコの言葉に対する疑問。
「あの・・・ややこしい事って・・・・」
の胸の中に、じわじわと黒く重い不安が湧き出る。
「・・今、日本から電話があってな・・・・直に話した方がいいと思って、
今から行くって伝えちまったんだが・・・・行けるかい?」
直に話した方がいい・・その位、深刻な事なのだろうかと、
の中にある不安がじわじわ広がり、身体の内側を占領して行く。
「はい!」
しかしは手のひらをぎゅっと握り締め、そう答えた。
不安がっていても仕方がない。それに行けば分かる事だ。
勝手な想像はしない様にと、自分に言い聞かせた。
「一応、身分証明書とか持って行った方がいいかもしれねぇな。」
「あ、はい、分かりました。取ってきますね。」
トルコの脇を通り、足早に部屋へ戻ろうとして、
は手に持っている封筒の事を思い出す。
「あのこれ、さっきギリシャさんから預かって、後で渡そうと思ってたんですけど・・・」
と、封筒を差し出すと、トルコは封筒に視線を向けた。
「・・・あんがとよ。」
そしていつもの様に、軽く微笑みながらそれを受け取ると、トルコは部屋へと去っていくの後ろ姿を見つめ、
その背中が廊下に消えるのを確認すると、封筒に視線を戻す・・・
そしてトン、トン・・と、窓の縁に封筒を当てながら、ゆっくりと口を開いた。
「・・こんな見え透いた口実使いやがって・・・そんなにあいつが気になるかい?」
スッと鋭い横目で、トルコは庭に佇んでいるギリシャを見た。
「・・・・・お前に関係ない・・・」
少し俯き加減にトルコから顔をそらして、ギリシャは吐き捨てる様に言った。
「・・・・関係ない・・ねぇ・・・」
ギリシャの言葉に、いつもなら喧嘩腰に言い返すトルコだが、
今回は何故かその言葉一つを吐いただけだったので、ギリシャは思わずトルコを見た。
「・・・・」
トルコは何か考えている様子で、片腕を横にし、その上にもう片方の肘を乗せると、
封筒を口元にあて、じっと黙り込んでいた。
何をそんな真剣に考えているのだろうかと、ギリシャが訝しげな目で見ていると、
パタパタと急ぐ足音が聞こえて来た。
「お待たせしました!」
が戻ってきた。
「・・おう、んじゃ行くか。」
が戻ると、トルコはいつもの調子に戻り、軽く笑ってそう言う。
そんなトルコが、ギリシャは余計分からなかった。
靴を履き、庭に出た二人・・・そこでふと、トルコは自分の肩より低い所にあるの顔が、
不安の色でいっぱいになっている事に気付いた。
「・・・・・」
トルコはポンと、の肩に手を置く。
「でぇじょうぶだよ、きっと何とかならぁな。」
そしてニシッと、に微笑みかけた。
「あ・・・」
トルコにそう励まされ、は顔に出ていたか・・と、反省しつつ、
そんなトルコの心遣いが嬉しいのと、心中を見透かされた気まずさに、少し苦く微笑み返した。
「・・その場限りの安易な言葉は相手を傷つけるだけだって昔誰かが言ってた・・・」
しかし、突然の側で、抑揚のない言葉がスラスラと聞こえ、
は驚きながらも、声のした方・・トルコとは反対側を見ると、
いつの間にかすぐ側に、ギリシャが並んで立っていた。
あさっての方向を見て、めずしく饒舌に言葉を発したギリシャだが、
その内容は場の空気を凍りつける物だった。
「・・・・・・」
その場の空気が一瞬にして張り詰め、
恐る恐るトルコの顔を見上げると・・・案の定、トルコの顔は
さっきに向けた笑顔のまま、怒りに満ち溢れていた。
「おい・・喧嘩売ってんのかい?別に買ってやっても良いんだぜぃ?」
トルコが静かにそう言うと、
「・・行こう・・・」
ギリシャは完璧に無視してにそう言い、ぎゅっとの手を握り締めた。
「・・・・・・・」
この予想外の行動に、トルコはもちろん、手を握られた当の本人、
も唖然として、その握られている手を見つめた。
しかしギリシャはどこ吹く風・・マイペースにの手を握ったまま、歩き出す。
「あ、あの・・・」
引っ張られるままに歩くが、一人立ち尽くしているトルコをおろおろとは振り返る。
「うわっ・・!」
すると突然、の腕をガッとトルコが掴んだ。
「・・・おい、どこに行こうがかまわねぇが、行くんならその手離して行きやがれ。」
トルコは口元だけで笑い、眉を顰めながらそう言った。
「・・人の肌に触れてると安心するって、昔誰かが言ってた・・から、
このまま日本の家に行こうと思った・・・だめ?」
と、ギリシャは本来、言葉を返すはずのトルコではなく、を見つめて言う。
「・・・・・」
その態度に、トルコの怒りが増した。
「あ・・・そ、そう・・ですね、確かにそういうのありますよね!
私は・・どちらでも構わないので、行きましょうか。」
トルコの周りにある、怒りのオーラが増したのを感じると、は何でもいいから、
一触即発なこの場をなんとかして、早く先を急ぎたくて、
ギリシャにはそう返し、トルコには振り返り、ね?と少し困った様に微笑む。
「・・・・・」
その言葉と笑みに、トルコはの心中を察し、大人は損だ・・と思いつつも、怒りを鎮めた。
しかし、このままでは癪・・と、思うと、
「んじゃ・・これでもっと安心だろぃ?」
と、もう片方のの手を取った。
そして少し持ち上げ、微笑みかける。
「・・・・・・・」
ギリシャよりも、もっと予想外だったそんなトルコの行動に、
は心の中で悲鳴を上げつつも、表ではそれを耐えるかの様に硬直していた。
「・・・・・・・」
ギリシャは、じとっ・・とトルコを睨みつける。
そんなギリシャの反応に、してやったり。と、トルコはニタニタと愉快そうに笑みを浮かべていた。
「さぁて、急ぐかぁ!」
トルコは上機嫌に歩き出す。
(・・この二人と一緒にいると・・・凄く疲れる・・な・・・)
両手を二人に握られて、まさに両手に花。状態なのだが・・・
嬉しくないと言ったら嘘になるのだが・・歩きにくさと、気を使う空気、
そして、端から見た自分達の様子を想像して、いささかうんざりしながら、
は色んな意味で、早く日本の家に着かないかと、気持ちばかりが急ぐのであった・・・。
続。
2009/12/13....