ようこそ、05













バザールを後にしてから、は記憶を頼りにマンションから来た道を戻っていた。
幸い、周りをきょろきょろ見ていたおかげで少し道を間違えたりしつつも、
着々と目指すべき、そびえ立つマンションは近づいている。

(あと少し・・・)

は、平和ボケして隙だらけの日本人と思われないように、
精一杯の虚勢をはって、背筋を伸ばし、真顔で、現地の人と思われるように努めて歩いていた。
しかし、心中は不安でいっぱいで、本当はぐずぐずと泣きながら歩いていたかった。
周りはわからない言葉を話す人たち。
周りから自分は「異国の女が歩いてる・・」と、色々な意味で狙われていないか気になった。



(・・・・・やっぱり・・いない・・か・・)

そして歩いている間も、あの姿を探していた。

背の高い、黒い短髪の、白い仮面をした、自分の名前をトルコと名乗った・・
少し変わったあの人の姿を・・・

(あの人は・・全部知ってるんだろうな・・・)

はトルコの姿を思い出して、少し考える・・・

なんとなくだが、彼は自分がここに来た原因も、何故いきなり言葉がわからなくなったのかも・・・
何もかも知っている気がした・・・。
だが、会えなくては何も聞けない。何も分からない。

「!」

そこでは自分が今、ぼけっと歩いてたことに気付き、慌てて気を引き締める。
そして、マンションを目指した。





「やっとついた・・・・」


はマンションの入り口に着くと、柱に手を着いて、ほっと息を吐いた。
(確か、部屋は21階・・・・)
部屋の階数を覚えていて良かった・・と、は思いながら開いた自動ドアを通る。

ロビーに入ると、空調が効いていて、少し汗ばんだには心地よく、更に気を緩める。
そして、エレベーターに乗り21階へ向かう。

あとは、トルコが既に部屋に戻っていれば問題解決。

戻っていなくても、部屋の前で待っていれば良い。
そんな事を考えていると、エレベーターは21階に着き、はエレベーターを降りた。


「・・・真っ直ぐで突き当たりを右に曲がったらその突き当たりの部屋だったよね・・・」

は、部屋の場所を口に出して確認しなが21階の廊下を歩く。
廊下の床は白地に灰色の模様が入った石の様な素材で・・
これが大理石というものだろうか・・?と、部屋を出る時に思った事をは思い出していた。

そして突き当りを右に曲がった所で・・・

「・・・・・・・・・・」

は顔を歪める。

「え・・・?」

そしてバッと後ろを振り向き、反対側の突き当たりも見た。
しかし、ない。

ないのだ。部屋のドアが。

左右を間違えたのかと思ったのだが、丁字に作られている廊下の
左右どちらを見ても、突き当たりに部屋のドアはない。



「・・・・・・・・・」


の頭に疑問が浮かぶ。
なぜ、扉がないのか・・・・

「・・・・・・」

の身体にまた緊張が一気に走る。
思わず顔が強張った。

ここに来た時の事。
言葉が分からなくなった事。
そして、今のこの状態に、の頭にふと、最悪の予想が浮かんだ。
しかし、そんな事は考えたくなかった。
自分の単なる想像。外れた予想であって欲しいと思う。
それを誤魔化して、かき消すかのようには考えた。

(・・あ、階数間違えた?そうだ。そうかもしれない・・。)

は急いでエレベーターへと引き返す。

そして下へと向かうボタンを押す。
21階と20階を間違えただけなのかもしれない。単にそれだけの事。
はそう思いながら昇って来るエレベーターを待つ。

「・・・・・・・」

しかし、待っている間、は俯いていた。
ピカピカに磨かれている床に映る自分の顔を見つめる。
(・・・・なんか・・・もう・・)
はどっと泣きたい衝動に駆られた。
嫌な予想が当たりそうで怖い・・・ぐっと涙が込み上げてきた。
いっそ泣いてしまおうか。
がそう思った時。エレベーターが音を立て到着を告げた。
そして扉が開く。

「・・・・・・・」

は開いたエレベーターを見つめ、そして、手の甲でにじんだ涙を拭うとエレベーターに乗った。
そして、20階を押す。

まだ、そうと決まったわけじゃない・・落ち込むな・・きっと大丈夫・・・。

と、は自分に言い聞かせながら20階のフロアに着いたエレベーターを降りる。
「・・・・・」
そして、上の階と同じ構造らしい丁字の廊下を進む。
そして、左右を見ない様にしながら丁字の突き当たりで立ち止まると、バッと、右に顔を向けた。

「・・・・・・・・もうやだ・・・」

しかし、次の瞬間には、は顔を手で覆い隠していた。
それでも・・と、は身体を少し反転させ、
顔を突っ伏した両手の指の隙間から
淡い希望を抱いて左側の突き当たりを見る。
しかし、淡い希望は一瞬に絶望に変わる。

21階にも20階にも、丁字の廊下の左右に伸びた廊下の突き当りに部屋はない。
このマンションの全てのフロアが同じこの構造なら、
やはり最悪の予想は当たりで・・・・・

自分とトルコが出てきたあの部屋は存在しない。

「・・・そんな事は・・・」
ありえないよ・・と、は思う。
それとも、他の階にあるのか・・・それともやはりこれは・・・

(全部あたしの夢なのかな?)

は思う。
夢なら夢でいい・・むしろ夢でいい・・・。
は壁に背を付き、そのままズルズルとしゃがみ込み、膝を抱えた。
ここでこんな不安な、どうしようもない状況なら、
例えあの日々に戻るのであっても、戻りたい・・・と、は思う。

(・・・あんだけどっか行きたいとか言ってたのに・・今度は戻りたいか・・・)

は顔を少し上げ、思った。
ない物ねだりばかりする自分が、少し嫌だ。

(・・夢なら・・きっと悪夢だろうな・・凄いうなされてるよ・・・)

と、ふとそこである事を思い、自分の頬をつねった。


「・・・痛い・・から、夢・・じゃないんだよね・・きっと・・・・」

自分の頬をつねってみたが・・やはり痛い。
分かっている、夢であってほしいけど、これは夢じゃない。と。



「・・・・・・・」

は、体育座りで顔も伏せ、しばらく黙り込んでいた・・・。

どうすればいいのか分からない・・・だから、考えていた。
どうすれば、またトルコに会えるのかと。
マンションに戻ってきたが、部屋は存在しない・・・。
なんで存在しないのか・・・会えなきゃどうにもならない。どうしようもない。

「・・・・・・・・」

その時、の脳裏に一瞬、またもやある嫌な想像が浮かんだ。


(あの人は存在しない・・・・?)


しかし、そんな・・そこまでバカな事があるか・・・。
いや、でも、今までの事は全て常識では考えられない・・・。
だから・・・・・・


「・・・ああ!!もう!」


は叫びながら立ち上がった。

例えそうだとしても、そうじゃないかもしれないし、そうかもしれない。
でも、じっとしてても何も変わらない。
誰かが教えてくれるわけでもない。
自分が動かなきゃ何も分からない、何も変わらない、何も起きない。
だから、動くしかない。
何をすれば良いのかなんて分からないけど、とりあえず・・・


と、は廊下を早足で歩き、エレベータの前まで行くとエレベーターのボタンを連打する。
が降りてきた状態のまま止まっていたエレベーターは、そのまま開き、は乗ると今度は一気に25階。
最上階のボタンを押した。
そして、心の中で叫ぶ。


(こうなったら片っ端から調べてやる!!!)


どうせ、色々考えていてもどうにもならない。
ならばやってやる。やるしかないのだ。
は叫んだ後、25階から19階まで片っ端から自分が出て来た部屋のドアを探した。

途中、マンションの住人とエレベーターに乗り合せたり、すれ違ったりしたがもう気にしなかった。
もうなんでもいい。知らない。
まさにヤケだった。


そうして、が25階から19階まで調べつくし・・・・



(・・・・・やっぱり・・そうなのかな・・)

が、19階の突き当たり左右を見終えた後、
その場でゆっくりと、俯き、どこともない宙を見つめながら、は心の中でつぶやいた。

やはり、このマンションに自分とトルコが出て来た部屋は存在しない。

そもそもこのマンションの丁字の左右に伸びる廊下の突き当りには、
部屋は存在しない造りになっている様だ。
最上階から19階まで同じ造りだった。
19階から下はどうだかは分からないが・・・自分が部屋を出て、
エレベーターに乗った時に見た階数は確実に20台だった。
それでも一応19階まで確認したが、やはり構造は同じ。

そして、部屋が存在しないと言う事は・・・彼もまた・・・
トルコと名乗るあの人もまた・・存在しない・・しなかったのか・・・。

じゃあ、自分が会話していた、あの人は何なのか。

(・・・・あたしの・・妄想・・?)

記憶の中で作り出した人物なのか・・
というか、今までの全ての記憶は自分の妄想・・
それじゃあ、今ここにいる自分はなんなのか・・
この今いる国・・場所はなんなのか・・・

は考えるが・・考えれば考えるほど訳が分からなくなり、
顔を歪める。
まるで映画だ。
何が現実で実在していて、想像で妄想で・・・・・

「・・・・・・・」

はしゃがみ込んで泣き叫びたかった。


「・・・・・・」

しかし、なんだか一瞬で、そんな気も失せた。
はなんとなく、外の空気が吸いたくてふらりと、歩き出し、
エレベーターまで向かい、下へと向かうボタンを押した。







エレベーターの中でぼんやりと何も考えずに、押したボタン辺りを見つめていた。
そしてそのままロビーを通り、自動ドアから出る。



「・・・・・・・・」

少し冷えた、自然の心地良い風がの頬を撫でた。
は空を見上げる。

空は暮れ始め、綺麗なオレンジ色をしていた。
日本では見たことのない色だった。
日本とは違う空の青と、暮れ始めた夕焼けのオレンジ。

そして、両方の色が混ざり合った綺麗なグラデーション・・・・


「・・・・・・・・・」

そんな綺麗な夕焼け空を見て、風を肌で感じて・・自分は確かにここに存在しているのだと思う。
でも、今は確かなのに、今までの事が説明つかない、ありえない・・。

綺麗な夕焼けは、綺麗だけども、今のには淋しく悲しく・・切ない・・・・


「・・・・うっ・・」

は今まで抑えてた物が、どっと込み上げて来るのが分かった。
の瞳から涙が零れる。


(・・もう無理・・無理だよ・・・お願いだから夢なら覚めて・・・)

はそう思いながら、涙で滲んだオレンジの空から顔を背ける。

「うっ・・うぇ・・ううっ・・・」

そしてしゃがみ込み、膝を抱えて嗚咽をもらしながら涙を零す・・・。

もう我慢は出来なかった。
涙は今まで我慢していた分も、堰を切ったようにあふれ出て、止まらない・・。

膝を抱え込んだ腕に、顔の上半分を押し当てる。
自分からあふれ出ている涙が腕に零れているのがわかった。
涙は温かく、信じたくない現実を突き付ける・・・


泣いてたって何もならないのは分かってる・・
でも、泣かないといられない。
泣かないと次に進めない。
だから今は泣いていたい。
泣かせて。


誰か助けて。と――――





「うぅ・・ひっく・・・・っ・・」


しゃがみ込んで、どうすれば良いか分からなくて、人通りはあまりないが、それでも、
ちらほらと道を通る人の目も気にせず、はしばらく入り口の脇で泣いていた。










「・・うっ・・・・・ずっ・・・」


しばらく泣くと、混乱した頭が少し落ち着いてきた。
自然と嗚咽も治まり、は顔を腕に突っ伏したまま、
目を閉じた暗闇の中で深い深呼吸をひとつする。
そして、ゆっくりと顔を上げた。

「・・・・・・・・」

泣いたせいで、ぼんやりとした頭と滲む視界の中で、はゆっくりと立ち上がりながら、手の甲で涙を拭う。

(・・・・・・どうしよう・・かな・・・)

は鼻をすすりながら、ぼんやり感が取れない頭で考える。
目の前には、さっきよりもオレンジ色と暗がりを増した、マンション前の道路と木々、建物が広がる。


「・・・・・・・・」


初めて見る、トルコの夕暮れ・・・。









!」









「・・・・・・・・・」


声がした。自分の名を呼ぶ声がした。

まだ出会って一日程しか経ってないが分かる、あの声がして。

は一瞬、正面を見つめたまま、耳を疑う。
そして、ゆっくりと横を向いた・・・・。



「ったく!勝手にどっかいっちまいやがって!!」



そこには、焦った様子で走ってくる、白い仮面の彼がいた――――。







「心配したんだぜぃ?」


そして仮面の彼は、沈む夕日を背に、ゆっくりと弾んだ息を整えながらの横でぴたっと立ち止まると、
荒い呼吸をしながら少し首を傾げ、にっと、仮面で隠されていない口元で笑い、そう言った。



「・・・・・どっ・・・うっ・・うあ・・うっ・・ぅうぅ〜〜っ!」


トルコさん!!と、は叫ぼうとしたが、
叫ぶ前に、の瞳には涙があふれ、そのままトルコの服の裾を両手でぎゅっと握り、
俯き、嗚咽を吐き、泣き出してしまった・・・・。

「・・・・・・」

目の前で号泣するに、トルコも思わず少しうろたえる。


「・・・・うっ・・よか・・よかった・・・トルコさん・・いた・・・」


はしゃくり上げながら思わずつぶやく・・・


ずっと不安だった。
心細かった。
怖かった。

ここで・・この国で一人で・・・・・・



そして・・トルコという人物は元から存在しなかったのかと―――。




でも、こうしてまた会えた。
そして、こうしてしっかり彼の裾を掴んでいる。

もう一人じゃない・・確かに彼は存在する。

そして、今の自分も確かで、今までの記憶も確かに現実だった。
説明出来ない事ばかりだけれど、今は、全てが現実だったという事実だけで嬉しい。




「うっ・・うあっ・・ううっ」

安堵の涙が止まらなかった。

俯いて、目を固く瞑り、トルコの服の裾を掴み、ぼろぼろと涙を零す。
自分の腕に、あふれた涙がまた落ちる。涙の温かさが手の甲に落ちる。


「・・あ〜〜〜・・・・・もう泣くんじゃねぇやぃ!でぇじょうぶだからよぉ!」

そう言うと、トルコは泣いているの背に手を回し、
軽く自分の方にを寄せると、ぽんぽん。と、背中を優しく叩いた。

「うっ・・ううぅっ!!」

トルコが叩く、背中の優しい手の感覚と、トルコの身体に少し触れた部分から伝わる、
人の体温の温かさ、確かな人の肉体の感覚に、の涙は余計にあふれた。


泣き喚くと、あーあーだから、でぇじょうぶだから、な?と、
困った様に何度もなだめるトルコの二人は、
しばらくそのまま、夜の暗闇へと薄れ行くオレンジ色の空の下にいた。










続。


2008/08/29....