ようこそ、04
玄関のロビーから自動ドアで外へ出る二人。
「・・・・!」
自動ドアが開き、外の空気を感じた、その瞬間。
は今までの人生で感じたことのない、空気に触れた。
「・・・・・」
「ん?どしたんでぇ?」
立ち止まってしまったに、白い仮面を額から鼻まで付けたトルコ・・国ではなく、
トルコという名前の人物も、立ち止まり、に問う。
は立ち止まると、ふ・・と、自分の胸元の手前。
何もない、宙を見つめる。
としては、今感じた、この地域特有の空気を見つめているつもりで、
なんとなく、胸元の前を見つめていたのだ。
「いえ・・日本とは空気が違うな・・と、思って。少しびっくりしました。」
は、少し楽しそうに微笑んだ。
「あー、日本とはでぇぶちげぇからなぁ。日本は、じめじめしてかなわねぇ!」
トルコはいやだいやだ。という風に肩をすくめて頭を振る。
「あはは。あたしも、日本の梅雨から夏は嫌ですね。」
がそういうと、二人は話をそこで区切り、バザールへと歩き出した。
そのしばらく後も、は少し気候の事を考えていた。
学校の授業で色々習った気候・・・トルコはどの気候なんだろう。
あんなにも毎日毎日勉強して、何個も覚えたはずなのに、ひとつも覚えていない。
単語は少し覚えているが、地域と一致しない・・・。
その事が、なんだか少し悲しい。
「トルコの街並みは不思議ですね〜。」
その後も、トルコとはバザールへの道を歩きながら会話を続ける。
だが、が少しはしゃぎながら、通り過ぎる物をトルコに質問し、それにトルコが答える。
というのが大半で、そこから何気ない話になったり、
お互いの事には触れない、距離を計る会話をして歩いていた。
「・・・・・・」
トルコとしては、色々聞きたい事はあるのだが、
ここでいきなり聞くような事はしない。
したとしたら、警戒されるのは目に見えている。
ゆっくりじっくりでいい・・・・楽しい事は長く続いたほうがいいではないか・・。
と、トルコは腹の中で、あの逆さ三日月の様な笑みをニタニタと浮かべていた・・・。
「わぁー!すごーい!!」
は思わず、少し大きめの声で叫んだ。
バザールについた二人の前に現れたのは、道の両脇にずらっと、
どこまで並んでいるのか・・という、野菜や果物、燻製など、
ほかにも衣類など、多種多様な物が売っているテントの海だった。
「結構人多いですねー。」
「このバザールはここいらじゃ一等活気があっかんな。
それに昼めぇだからよ、みんなメシの材料買いにきてるんでぇ。」
「新鮮な食材使ってるんですね・・お昼ごはんに・・。」
は何気なく、ぽつっとつぶやく。
「夕飯の材料もついでに買ってくみてぇだぜぇ。」
トルコはそう言いながら歩き出す。
「おっ・・とぉ・・」
「!」
トルコは歩き出したかと思えば、急に前に進めた足を下ろさずに、
後ろに重心をかけて、後ろのめりになりながら に顔だけ向けて
「はぐれねぇようにきぃつけろぃ・・日本と治安がちげぇからなぁ・・」
と、今までの少しへらへらした顔つきとは違い、少し真剣みを帯びた真顔でそう言い、また足を進めて歩き出した。
「・・・・はい。」
なんだかトルコのその真顔と、見返り姿に少しときめいただった。
(見返り美人とかって、男の場合にも当てはまりそうだ・・)
そんな事を考えながら、離れないように見失わないように気を付けようと、は思う。
長身なトルコなので、見失いにくいよな。と、自分の顔の隣にある、
トルコの二の腕を見て、うん。と、は一人頷いていた。
「わー、この野菜珍しい。何この形!色!」
はある八百屋のテントの前で立ち止まった。
わいわい賑わっていてあまり声が聞えない為、
は隣に来たトルコに少し大きめな声で話しかけようとしたが、
「メルハバ!可愛いお嬢さん!そいつは凄くおいしいよ!炒めても煮てもいける!どうだい!?」
「・・・っ」
はいきなり、大声でまくし立てられる様に話しかけてきた八百屋のおじさんにたじろんでしてしまう。
「100g、12トルコリラだ!安いだろう!?」
おじさんは両手を動かして販促トークを続ける。
「あっと・・・」
「なぁ、こいつはどこで採れたんでぇ?」
「これかい?これは南西の・・・」
(・・・・助かった・・)
話しかけられて戸惑っていたを助けてくれたのか、
ただ本当にその野菜の産地が知りたかったのかはわからないが、
トルコが店のおじさんに話しかけてくれた・・・には凄く有難かった。
あのまま話しかけられ続けても、どうしていいかわからなかった。
店の商品を見ていて話しけられるなんて事は、今まで日本では滅多になかった。
ちゃんとしたショップで服を買うとき位だろう・・。
食材などは特にそう。
スーパーで並べられている物を一人で適当に選び、カゴに入れ、レジへ行き、
お決まりの台詞を事務的に発するレジの人に金額を言われ、お金を渡し、
そして、去る・・・それが当たり前だった。
だけど、どうだろう。
ここでは辺りを見渡すと、野菜や果物・・どの店でも人々が顔馴染みなのか、
そうでないのかはわからないが、店の人が気さくに声をかけ、
そして声をかけられた客もわいわいと話をしている・・。
(・・・次はちゃんと答えよう。)
はそう思いながらふと気になった反対側の果物屋の果物を見た。
「うわぁ・・・」
は歩いて5、6歩の、その店の前まで行き、果物を手にする。
奇抜な色と見事に熟したおいしそうな果実。
「トルコさん!これ・・・・!」
あ。
と、は思う。
あれ。
と、思い。
辺りを見渡す。
(うわっ・・・は、はぐれた・・?)
周囲には、あの黒い短髪の、長身なトルコの姿はなかった。
もちろん白い仮面も見当たらない。
「え・・え、え!」
は焦る。
果物を戻して、バザールが開かれている道の少し先の方を見ようと、
道の中央に行き、前後左右を見るが、姿はない。
背筋から頭にかけて何かこみ上げてくるのがわかる。
手先や身体全身の神経が張り詰めてくる。
(・・落ち着け・・落ち着け・・・)
は自分に言い聞かせると、あ。と閃き、
先ほどトルコと店のおじさんが話していた八百屋のテントへと向かう。
そして、先ほどの八百屋のおじさんを見つけると話しかけた。
「あの!すみません。さっき話してた・・黒髪で背の高い・・仮面の男の人、どっち行きましたか?」
はトルコの特徴を伝え、ここで行った方向さえ分かれば・・と、望みを持ちながら伝える。
「・・・・・・・・」
しかし、店主はきょとんとを見つめた。
「え・・あの・・。」
は、そんな予想外の店主の反応に何?と、戸惑う。
しかし、次の瞬間。
「〜〜!!〜〜!〜〜!〜〜〜〜!!!」
「!?」
は思わず、ビクッ!と後退りしてしまう。
何故なら、おじさんがの分からない言葉・・言語でいきなり話し始めたからだ。
「あ、え、え・・と・・・そ、そーりー!!!」
その後も、おじさんはの理解できない言葉で何かを話してくれていたのだが、
の頭は混乱したままだったので『・・・取りあえず、逃げよう。』という
答えを出したは、とっさに出た英語でごめんなさい。の言葉を言うと、逃げるようにその場を去った。
(・・どこか・・・・どこか・・どこかで落ち着こう・・・)
は向かう場所はないが、とりあえずさくさくと歩きながら、
どうしよう、どうしよう。とおろおろしてしまいそうな自分を必死に抑え、
どこか、立ち止まって考えられる場所を眼で探す。
そして、テントとテントの間の奥に見える細い路地裏を見つけると、
そこへ足早に歩いて行った。
「・・・っ・・はぁーーー・・・・」
は、少し静かになった路地裏で壁に手をつくと、盛大に息を吐き出した。
「・・・・・・」
少し頭が落ち着いて来たは、苦い顔をしながら顔を上げる。
そして、バザールの方へ顔を向けると、苦い顔を更に歪めた・・
何故なら、やはりワイワイガヤガヤとして聞こえてくる人々の言葉が、分からない・・・
理解できない言語だったからだ・・・日本でも知られている
何ヶ国かの外国語とは似ていず、もはや音の感覚である。
(なんで・・?なんでだ・・・?)
なんでいきなり言葉がわからなくなったのか・・・・
「・・・・あれ?」
しかし、そこである事に気が付いた。
(つーか、なんでさっきまで『あたしが』あの言葉分かってたの?)
そもそも、トルコのベッドに落ちてきた時にトルコと話せた事自体がおかしい。
トルコ人ならこの国の言葉を話しているはずで、あたしは日本語を話してた・・つもり・・だから・・・・
と、の頭は更に混乱する。
「・・・・・・・・・・・・・・ちょっと、今はこれ置いとこう。」
は下を向き、頭を押さえて考えていた顔を上げた。
(取りあえず今は、トルコさんと合流しなきゃ。)
そしたら、聞けばいい。『これ』はなんなのかと・・それが分かれば、
なぜ玄関を開けたらここに来たのか。という事も、わかるかもしれない。
「で、どうしよう・・・・」
そしてはまたもやため息を吐く。
はぐれてから、もうしばらく経つ。
もう、バザールにはいないか・・・でも、探してはくれてるだろうから、いるかもしれない・・
見つからなかったらどうすれば・・・は考える。
(警察に行くか・・大使館とか・・そうすればなんとかな・・)
る・・と、考えてはっとする。
果たして、事情を話してなんとかなるのだろうか・・・
『家の玄関開けたら、ある人の家の天井から落ちて、いつの間にか日本からトルコに来てました。
その人とはぐれたんで日本に戻してください。』
「・・・・・・・ダメだ・・」
は頭を抱える。
笑って追い払われるならまだしも、頭のおかしい不審者扱いで、
パスポートの提示を求められ、なんだかそのまま捕まりそうだ・・・
と、は考え、段々どうしよう。と、焦ってきた。
実際、泣き出しそうで『どうしよう〜〜!』と、泣きながら地団駄踏みたい気分である。
しかし、そんな事をしてもどうにもならないし、流石にそこまで子供な事はしない。
「はぁ・・・・」
今度は、壁に背をついて空を見上げる。
「・・・・・・・・」
両側の建物の間から見える空の色も、通り過ぎる風も、マンションを出る時と何一つ変わらない。
だけど、状況と心境だけは歴然と変わっていた。
「・・どこ行ったのかなぁ・・」
ふと思い出したのは、あの後姿。
気付かなかった・・・というより、考えもしなかった。
自分が今、頼れる人間はたった一人しかいないのだという事を。
そして、自分がここで生きて行く為にはあの人にすがるしかすべがない。
あの人が・・・そういう意味じゃないが、必要不可欠だという事も。
あの人がいなければ生きていけないのだ・・・この国で・・・
(うわっ、トルコさんが良い人で良かった・・・・)
はぞっとした。
「さて・・・」
じっとしていても何も変わらない。
何も変わらないのなら、動くしかないのだ。
は壁につけていた背を離し、取りあえず、バザールの道を探してみようと、
バザールが開かれている道へと戻る。
なんだか、さっきまでよりは少し落ち着いていた。
「・・・・・・」
がやがやと賑わう人込み。
正直、怖い。
結構、相当。
は、ただなんとなく来た道を引き返した。
見知らぬ土地、しかも他国。
言葉も文化も肌の色も顔の造りも違う。
それも怖いが、違う『モノ』な自分が一人いる。それも考えるとなんだか怖い。
そしてこれから先を考えると、ゾッとする。
もし、この道を探してトルコさんが見つからなかったら・・・どうすれば・・・
近くを探して・・・いなくて・・それでもいなかったら・・・・
「・・・・・・」
それを考えると、足先から背中を通り、何かが胸の奥からぐっと喉にこみ上げて来る。
涙が出そうになる。
怖い。
不安で泣き出しそうなのをグッとこらえる為に口をぐっと閉じ、力を入れる。
(泣く前に探せ・・泣いてる暇があるなら探さないと・・・)
は歩きながら辺りを必死に見渡す。
あの、短い黒髪を、
あの、長身のがっしりした後姿を、
あの、白い仮面を――――――――――
「・・・・・っ・・」
しかし、来た道を戻り終わってしまった時、は涙があふれそうだった。
不安の衝動はどんどん足先からを襲い、涙を零させようとする。
(どうしよう・・・)
は涙が零れ落ちそうになる。
「・・・・」
しかしそこである言葉が頭をよぎった。
トルコのあの声で・・
『はぐれねぇようにきぃつけろぃ・・日本と治安がちげぇからなぁ・・』
治安が違う・・・
日本はかなり治安がいいとは漠然と知っている。
治安が悪い国は何がどうなのだろう・・・
「・・・・・・・・」
はしばし考えてから、零れそうになった涙を拭い抑え、顔を上げた。
少し想像をしてみた。
そしたらここで泣いていたらとんでもない事になると、
トルコの悪い人達の餌食になるのが分かった。
困ってる所を見せてはいけない。
隙を見せちゃいけない。
そんな事を思った。
毅然と、あたかもトルコにはもう結構いますよー。
という様な雰囲気を出しながら歩こう。
そう思いながらは歩き出そうとする。
しかし、どうしていいのかわからない。
取りあえず、動くしかないのはわかるのだが・・・
辺りを探し回ろうか・・・幸いな事にまだ日は高い。
夜までには時間がある。
夜までになんとかなれば・・なればいいのだ。なるかもしれない。
「うっし・・・!」
は不安を払うように頭を振り、顔を上げる。
「あ。」
そして、思わず叫んでいた。
の瞳に映ったのは・・・
「そうか!あのマンション!!」
そう、トルコが暮らしていると思われる高級高層マンションである。
(そうか!その手があった!!)
家を知っているなら、家の前で待っていれば必ず帰ってくる。
ましてや、すぐ側の距離。
そうすれば、合流できるではないか。
「はぁ〜〜・・・・・・」
なんで早く気づかなかったのか・・安堵のため息吐く。
よかった・・・なんとかなった・・・・・
はそう思いながら、マンションを見つめて歩き出したのだった。
続。